前の日記の見出しで切れていた一文。「てことで、ばかみたいに殻に閉じこもっている僕の話。」

中学までは、例のともだち以外の人をともだちだと感じることはなかった。不思議なのは、その子と小学校もクラスも一緒で、それなりに仲は良くて、きっと「友達」だっただろうに、その時はともだちだと思わなかったこと。きっと向こうもそう思っていただろうこと。
理由は解らないけれど(解らないこそか)僕らはいつの間にかともだちで、中学いっぱい、他者を受け付けないような世界を築いていた。先生にべたべたしすぎだって言われたくらいだ。もしかしたら何か勘違いされていたのかも知れない。だからといって別にいつもべたべたしていた訳ではなくて、休み時間にどちらかの席に集まるけど、お喋りするのではなく、ふたりして黙って本を読む。そんなような関係。「一緒にいながら言葉を交わさなくても良い関係」ってのは、僕の理想とする「隣にいる人」との関係でもある。
でも、最初のともだちみたいなともだちばかりじゃなくて*1、あの子との関係が理想に近すぎたってことは解っていたから、別に落胆することも極端に淋しく思うこともなかった。
高校のともだちは、先生みたいなお姉さんみたいなタイプ。
元々学校の先生というものが大すきで、中学からかな、些細な、学習の本筋とはあまり関連もないし重要でもないような質問をつくって、せんせーせんせーおしぇーてー、って職員室に通いつめた。別に若い男性の先生ばかりじゃない、おじさん先生もおじいさん先生もおばさん先生もみんな大すきだった。先生たちから見れば僕はけっこううざかっただろうけど。
基本的に僕は中身がコドモなので、すぐ不平を言うし*2甘えるし、僕なんかのともだちをやる子はすごく大変だし、そんな人なかなかいないよなあ、って思う。僕が受け入れられるものが少ない分、僕を受け入れられるものも少ない、ってことなのかな。コドモの面倒を見てくれる存在としてのともだち。そんなの、ともだちか? ただのお姉さん代わりじゃないか、と思うこともあるんだけれども*3。僕が彼女をともだちだと思っていれば、彼女がどう思っていようと、僕にとって彼女はともだちだから。大丈夫。
相互関係をなさないともだち。
理想の形ではないけれど、これはこれでアリだと思う。合理化というか、負け惜しみのように聞こえるかも知れない。てか聞こえる。でもそんなんじゃない。それとは違う、と、僕は、しんじている。

*1:平仮名ばかり読みにくくてごめんなさい

*2:実際思っていなくてもとりあえず言う。口が悪いんだねー

*3:実際、「姐さん」と呼んでいるし