ことばのおと

いい絵画を観ても、いい音楽を観ても、自然にことばが先に出てくる。絵画で感じたことを描こうとしても上手くいかないし、音楽で感じたことを音楽に還元できない。できたとしても、それはいつも、ことばを出しつくしたあと
僕はことばで世界を表そうと決めた。それは消極的なものではなかったはずで、やっぱり僕にいちばん近いツールはことばなんだろうな、とあらためて認識した。ことばというのは、ほとんどすべての人に与えられていて、かんたんに使えると思われがちだけど、だからこそ、自分のことばを使うのはとても難しい。ときどき、別のことで世界をすてきに表せられる人が、ことばを用いてとてもすてきに世界を表しているのをみかけると、悔しくて悔しくてならない。でも僕は消極的にことばを選んだのではない。僕にある数々の選択肢の中から(それが実際に在るかどうかは知らないが)、まっ先に、ことばを選びとったのだ。そして、ことばに思い当たってしまうと、もうそれ以上に僕に適したものは何ひとつ思い浮かばなかった。それ以上に適したものというか、それ以下に適したものも思い浮かばなかった。ただことばだけで僕がいっぱいになった
未熟でもくそでもなんでも、僕はことばで世界を奏でてやろう