僕自身と友達だったら、きっと毎日がケンカの連続だと思う。それは決して似た者(似たというか、同じだけど)同士がゆえに起こるものではなく、互いに嫌い合うがゆえのものである。僕は僕が丸ごときらいなわけではないが、きらいな部分はたしかに存在する。そのくせ、きらいな部分をすきになれるような形に直そうとも思わないし、思えないので、おそらく一生このままである
だからか、自分に近いものをすきになれる人がうらやましい。そういう人は、いくら口では「わたし醜い><」とか「自分きらい><。」とか言っていても、おそらく自分のことがすきなんだろうなあ。いいなあ。うらやましい
しかし僕は、自分自身のきらいな部分はきらいでも、同じような部分を持っている他者はほぼ無条件ですきである。用事がある人が談笑していて、自分が話しかけることでその笑いが途切れることを恐れて話しかけられずにおろおろする人や、痛烈に批判できるのに褒めることは苦手で損をみている人や、喜びをすなおに表せなくてもごもごしていたら嬉しく思ってくれていないと勘違いされた人や、声質のせいで「ありがとう」さえも冷たい言葉に捉えられてしまうような人。
すきだ、
だいすきだ、
僕に愛させてくれ。
僕になにか手助けさせてくれ。
しかし僕はそこでやさしく声をかけることができる人間ではないのだった。それに、僕はべつに彼ら/彼女らとともだちになりたい訳ではなく、そこで声をかけてしまったらそのままずるずるそんなような関係になってしまいそうで、声をかけたいとも思わないのだった。ただ心の中でだけ幸せを願って、ただ遠くから見ているだけの、役立たずの同士
もしかしたら、「自分に近いものがすき → あー、自分のことすきなんだー」って受け取られるのが嫌で、堂々とそう言えないのかもしれない。そんな気がしてきた。なんでもいい