沈黙についてぼんやりしていたら、3年ほど前に書いた小川洋子『沈黙博物館』の書評を思い出した。ので転載。読んでくれた先生が、僕の意図的にちりばめた修辞にちゃんと気付いて下さって、とても嬉しかった記憶。

沈黙博物館 (ちくま文庫)

沈黙博物館 (ちくま文庫)

依頼主は、プライドが高く、態度も大きく、暦にうるさく、気難しい老婆だった。依頼の内容は、村人たちの形見を展示、保存する博物館を作るというもの。耳縮小手術専用メス、シロイワバイソンの毛皮、切取られた乳首。肉体の存在を最も忠実に記憶する品。しかも形見は、正当には手に入らないものが殆ど。
私は小川洋子を好んで読むが、彼女の書く物語は、揃って希薄である。縛られた心と退廃的な日常。クライマックスはせいぜい丘ほどの高さ。でも飽きさせたりつまらなく思わせたりしない。村の外と切り離された、静かで、時が止まったような世界。
「=沈黙」。そう言えるほど、濃密な沈黙が物語全体を支配している。何も話さないことが、こんなにも濃くあれるのだと、衝撃を受けた。そして沈黙こそが、形見たちから物語を引出す。形見たちの主張と深い沈黙が対照的で印象深かった。
形見を保存する博物館、動物の毛皮をまとった沈黙の伝道師……。一つひとつとってみると、ぶきみな要素が多いが、淡々とした語り口がそれらを全くぶきみに感じさせない。不思議と、むしろ爽やかな印象を受けた。沈黙博物館に居たい、客としてではなく製作側として。私は決してぶきみなものが好きではないが、それでもこんなに惹かれるのは、小川洋子さんの表現あってこそだと思う。彼女の作品の中で『博士の愛した数式』しか読んだことのない人に特に薦めたい。小川洋子はただの感動モノに留まるような人ではない。