側溝ウォーカ

わざと側溝のところ歩くのすき。音立てないように歩くのすき。はずみで大きな音を立ててしまうのもそれはそれですき。
10:15 PM Dec 9th, 2010 via ついっぷる for iPhone
@pepperilla
http://twitter.com/pepperilla/status/12857861797318656

僕はたいてい側溝の上にある。側溝とか、歩道の自転車用に色分けされているところとか、車道と歩道の境にあるでっぱりとか、そういう幅の狭い、細い線の上にいるのが落ちつくらしい。
歩くとカラカラ音が鳴る。おそらく気持ちのよい音ではない、だからできるだけ音を立てないようにして歩く。「帰り」の場合は、たいていうまく、それほど大きな音は出さずに済むのだが、「行き」だとなぜかどうしてもガチャガチャうるさくしてしまい、数歩で、追われるように、側溝から降りざるをえなくなる。ゆっくり、そっと歩こうとしても、なにかが根本的に「帰り」とは異なっているのだ。たぶん僕は、とくべつ急ぐ用事などなくとも、どこかへ向かうときは気を急かせているんだろう。「行き」の側溝歩きの困難に気づいてから何回目かののち、そのことに気づいたが、急がないように落ちついて歩こうとしても、どこか気持ちが弾んで、いまだうまく行かないままだ。
側溝の上を意識的に歩きはじめてから発見した、いちばん嬉しかったことは、同じように側溝の上を選んで歩いている人がいることに気づけたということ。遠く視線の先にそういう人を見つけたら、相手がよけるか僕がよけるかの側溝死守バトルにならないうちに(そもそもなるのか)、なんとなく自分から降りる。なにも譲っているとかそういうんじゃなくて、ただ、自分と同じように側溝の上を歩く人がいるということが、ただ嬉しくて、側溝の上を選んで歩く姿を見るだけで、胸いっぱい、しあわせな気持ちで満ちるのだ。我ながら「些細なことでなにを大げさな」とも思うが、実際そうなんだからしかたがない。

あまり生活臭のすることは書かないようにしようと思っていたし思っているのですが、大きなことなので書いておきます。
院試を放棄しました。
半年間はアルバイトしながら勉強して、可能なら後期から研究生入学しようと思っています。

まだ残っている試験を放棄したいと父に電話で伝えながら、涙が止まらなくて、家族や応援してくれていた人たちへの申し訳なさなのか自分が至らないことへの悔しさなのか解からなかったけれど、ただ止まらなくて、今も止まっていないのですが、高受のときを思い出しました。
某ちょう難関校の発表会場近くのマックで、母親の胸に泣き崩れる、灰色スカートでお団子頭の女の子。彼女を横目に、僕はあの子になりたいと思ったこと。
でも僕には一生なれない。
弱さを吐くためだけの涙は、そろそろ捨てようと思います。
泣いたとか言いましたが、それはけっしてショックだったとかそういうことではなくて。こういう結果になることがなんとなく見えていたおかげか、僕は意外と、あっさり受け入れることができています。

あいぽんに溜めていたメモ(原文ママ)

自分の愛が崇高でないと感じたら、自分の抱いた念が愛ではなかったと考えるのが自然なはずなのに、なんで愛の崇高さを先に疑ってしまうんだろうか。ばかなんだろうか。きみのそれはただの情か、あるいは欲だ。

たとえ「叫び」であったとしても、意味のある文章、内容のある文章にしたい。というか、叫びそのものを文章に落としこみたい。文章の裏にある、あるいは中に潜むなにかとしてではなく、文章そのものとして。

なんとなく家にいると集中できなくて、それは下宿の部屋でも実家でもそうで、いつからそうなんだろう、僕はいつから家のなかで本を読まなくなったんだろうと考えたけれど、けっきょく解らなかった。「家で読書ばかりしていないでたまには何か違うことをやりなさい」と言われた記憶があるので、家で本を読んでいた時期があるのは確かなのだが。

読書録

はてな年間100冊読書クラブ」に参加することにしたので、読書録はそちらのグループ日記*1で書きます。読書メーターのまとめも、昨日の今日で難なのですが、やらなくなると思います。予定。そのうち記事自体消すかも。

はっきり「きらい」と言える人がすきだ。
他人にそう言うことで、いちばんダメージを受けるのは発言者の方だ(と思う)ってこともある。でも何よりも、はっきりこう言い放てる人は、自分が同じことを言われたとき、それをまるごと受け入れる覚悟があると思うから。そこに納得できる理由なんてなくても、どんなに悲しかったとしても。
覚悟のない「きらい」はきらい
(でもそれはそれでまた、愛すべきものだ)。
僕はたぶん、「きらい」がしょいこんでいる痛みや悲しさの欠片がひらっと顔をのぞかせる瞬間がいとしいのだ、と思う。そう思う。

でも枯葉でさつま芋を焼いた記憶はある

さいころに使っていた英語のテキスト、なぜかどのテキストも、「fall」という語には、明るい色のジャンパーにジーンズの格好をした子どもが落葉の上に仰向けになっているイラストが添えられていた。
僕はうらやましく思っていた。近くにあるていど規模のある落葉樹林があることに、また、落葉の上に躊躇いなく寝転がれることに。芝生の上に座ることは躊躇するのに、アスファルトやタイル舗装路が平気な僕は、きっと都会っ子で現代っ子なんだろう。
そのころの憧れにふたたび触れて、取りこんでからベッドの上に無造作に投げてあった洗濯物の山に飛び込んでみた。ぱさっとしてあたたかかったけれど、どこかつんと澄ました、秋の日のにおいがした。

9/16

秋のにおいが夏をのっとりかかるのに伴い僕の食欲も徐々に戻りはじめ、僕なんかのましてやその一部にすぎない食欲なぞ、けっきょく自然の摂理サマの手のひらの上で踊っていたにすぎないのですねと思うと妙に逆らってみたりどうせ踊るだけならヘンな踊りをしてみたりしたくなるのだが、しぬ気だけはどうしてもしないのであった、ときいて、まあそんなことあるよね〜わかるわ〜とか言いながら頷いているそこのアナタは頷きすぎて首の骨でも折っちまえ。
解らないから解ろうとするのであって、解るなどとはじめから言ってしまうのはてめーのことなんて知るかって言うのと同じなのではないのでしょうかと聞いてもだれも答えてくれないしてめーに解られてたまるか。